主イエスのみ心

聖ヨハネの福音書に書いてある通り、主イエスが十字架につけられた時、兵士が槍でイエスの脇腹を刺しました。すぐに心臓から、血と水が流れでました。

 今、イギリスのリッチフィールド大聖堂の真中に掛けられている大きな十字架の新しいアイコンを見えば、イエスの脇腹に二つの細い線が見えます。一つは青、一つは赤で、その線はイエスから流れ出た水と血を表します。

 聖餐式の「奉献」の時、司祭が聖餐式を準備していて、葡萄酒とお水を混ぜます。それもイエスの脇から流れた血と水を記念するためです。その血と水はイエスの二つの要素、つまり、イエスの神性とイエスの人間性を表します。イエスの心は、共に神の心と人間の心なので、私たちの心と神様の心を繋げます。

 今週の金曜日は「聖心」の祭りです。「聖心」の意味は、主イエスの槍に刺された聖なる心臓のことです。カトリック教会で人気があるので、日本でも「聖心教会」「聖心女子大学」とかよく見かけられます。

 多分、カトリック教会や他のキリスト信者たちは「聖心の祭り」が聖公会にあまり関係がないと思っていますが、実は、主の聖心の崇拝の元はイギリスにあります。中世イギリスでは、キリストの傷と血の崇拝が流行っていました。宗教改革の後でも、17世紀の聖公会神学者がキリストの傷と血と聖体との関係、それを崇拝することを守りました。

 19世紀まで、王室のスチュアート家が聖心の礼拝を守っていました。18世紀のイギリスはあまり信仰深くない時代でしたが、19世紀の英国国教会では、オクスフォード大学から「カトリック復興運動」が広まるようになりました。その影響を与えられて、現在のイギリスの聖公会では、沢山の教会に聖心の像と祭壇があります。

 カトリック信者だけではなくて、いろいろの教会から多くの人々が主イエスの聖心に頼り信じるようになりました。主の心臓と、主の私たちのために流された血のことを考えると、主の溢れる愛を経験できるようになれます。主が刺された心臓の痛みを考えることは、私たちの心をやわらかくしてくれます。主の聖心を眺めれば、私たちの愛の不足を悟って、懺悔して、主に許していただくようになれます。

 今日は、十字架や聖体の前で黙想したり、救い主を見たり、刺された脇腹を想像したりして、イエス・キリストの精神から流れ出る愛と慈しみを経験しませんか?その愛が私たちの心に入って、また私たちの心からその同じ愛が、今日会う人々の心に届き、愛が溢れるように祈りましょう。

主よ、私は自分の罪深い心をあなた前に差し出します。あなたの心の愛を私にお与え下さい。わたしの心を、あなたの愛に似たものにしてください。