そのとき、21・20ペトロが振り向くと、イエスの愛しておられた弟子がついて来るのが見えた。この弟子は、あの夕食のとき、イエスの胸もとに寄りかかったまま、「主よ、裏切るのはだれですか」と言った人である。21ペトロは彼を見て、「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と言った。22イエスは言われた。「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい。」23それで、この弟子は死なないといううわさが兄弟たちの間に広まった。しかし、イエスは、彼は死なないと言われたのではない。ただ、「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか」と言われたのである。

24これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である。わたしたちは、彼の証しが真実であることを知っている。

25イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。

ヨハネ21・20-25

この「イエスの愛しておれれた弟子」は誰でしょうか?福音はその弟子の名前を表さない。聖ヨハネの福音の泣けで、この「愛しておられた弟子」は4回出るが、毎回無名です。

第一回は、最後の晩餐で、この弟子はイエスの胸もとに寄り掛かっていました。

第二回は、聖母マリアとともに十字架の側に立っている時だった。イエスがこの無名の弟子の前に呼吸して、息を引き取られました。聖ヨハネが使ったギリシャ語の言葉、「πνευμα」は、「息」と「霊」の二つの意味するので、聖ヨハネの考え方によると、主が息を引き取られたことは、「霊」を聖マリアとその無名の弟子にあげたと意味します。

第三回は、主イエスの墓のところでした。お墓から石が取り除けてあったことを見て、生ペトロは混乱していったが、その無名の弟子は墓に入って、突然空っぽの墓の意味を悟って、信じるようになりました。

第4回は、今日の福音書の朗読のところです。主イエスはこの無名の弟子に「私の来る時まで待って」と命じる。聖ヨハネの福音書の末に、結局、この弟子が誰かを明らかにする。

この主イエスの愛しておられた弟子は、主イエスに頼る弟子、主イエスの母とともに教会を集まる弟子、主イエスの復活を信じる弟子、主イエスの伝統を伝える弟子、主イエスの愛を広げる弟子です。すなわつ、このイエスが愛しておられた無名の弟子は、私たちがなれる弟子です。